それでもどうしてもネイティブと話したいという人へ

でも、「やっぱり生身の人(外国人)と実際に話したい!」という人がいると思います。その気持ちはよくわかります。別に話したいと思うのは構いません。

ただ、ある程度話せないと逆につらいですよ。なぜつらいかについては、私の学生時代の話を少ししたいと思います。当時は私もスピーキング上達のためにはネイティブと話すことが唯一の学習法だと思っていたので、英語を話せるチャンスを常にうかがっていました。

大学には留学生がたくさんいたので、友達に留学生を紹介してもらったり、近くのキリスト教の教会に集っている外国人に自分から話しかけたりもしました。しかし、あることに気づきました。人は変わってもいつも同じ内容の話をしていたんです。

僕のいつも質問する内容はこんな感じでした。

「はじめまして。」
「日本には何年住んでいますか?」
「お仕事は何ですか?」
「日本食は好きですか?」
「おいくつですか?」
「どこの出身ですか?」
「・・・(沈黙)・・・」

この内容の表現は、何回も使っているので、自分でもびっくりするぐらいスラスラ話せます。ネイティブもお世辞で「英語が上手ですね!」なんて言われて調子に乗ってしまいます。

しかし少し話しが込み入ってくると、言っていることが半分ぐらいしかわからないようになり、会話がたどたどしくなります。

10分もすればネタもつきて気まずい沈黙が流れます。

そうすると、調度良いタイミングでそこにもう1 人のネイティブがあらわれて、会話に入ってきます。

「よかった、これで沈黙から開放されるぞ」

とホッとするのもつかの間今度は二人が話している内容がところどころ単語が理解できるぐらいで内容にはまったくついていけなくなります。

さっき半分ぐらい理解できたいてのは、ネイティブが遠慮してゆっくり、わかりやすく話してくれていたからなのです。彼らは猛烈なスピード(私にとって、彼らにとっては普通)で会話は続きます。どうやら、冗談を言い合っているようで、ところどころで笑いが起こります。

とりあえずそこで愛想笑いで「にこっ」としてみたりします。分からないのに分かったふりをする罪悪感。変にわかったふりなんかしてしまうものだから、てっきり理解できているもんだと思われて「あなたは、どう思う」なんてふられちゃった時には最悪です。

そこで、「いや、実は何の話をしているかわかりません。」と言わなければならないときのあの恥ずかしさは思い出しただけでも身震いします。(ちょっと大袈裟か)その後、すぐ「ちょっと、トイレへ」なんて行って席をはずしてその場から退散しますが、もちろんもうそこには恥ずかしくて戻れません。

まあ、戻ったところで何を喋っているかわからないので、戻ったところでさらに恥を重ねるだけですが。

ある程度英語が話せないうちにネイティブの人と話そうとするというのは、僕の様に「にがーい体験」をするということです。

そんな私も今では複数のネイティブとナチュラルスピードで会話できますし、冗談を言って笑わすこともできます。

このような恥ずかしさがばねになった部分もあるかもしれませんが、今思えばDVD を使った学習法を最初からしていればよかったなと思います。

ところで、こんな私ですが、最初から堂々とネイティブとまともに議論できたと思いますか?私はおそらくみなさん以上に英語コンプレックス、「ガイジン」コンプレックスの塊だったと思います。

ある程度英語を話せるようになれば、私がしたように積極的に会話のチャンスをどんどん探していくべきだと思います。慣れてくれば、「ガイジン」コンプレックスもなくなっていきます。堂々と英語で議論できる自信もついていくはずです。

しかし、私が実践したように「そんな自分が知らないところで、知らない人に話しかける勇気なんかない」と言う方もおられると思います。

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